日本の農業と漁業に対する絶望

私はこれまで「日本の農業・漁業もすてたんじゃない。力を出せば外国産が入ってきても必ず勝てる。」と信じてきました。
ところが、これを考え直させる出来事があったので、今日はそのことについて書きます。

その前に、これまでの私の生活環境について触れておきたいと思います。私は中国地方の田舎で生まれ育ち、20歳の時に東京に出てきました。私が生まれ育った町は海に近く、沿岸漁業の港が近くにありました。親戚にも漁師をしている人がいました。山も近く田畑が広がっており、主に野菜を扱う市場が近所にありました。東京に住んでいると意識することがないかもしれませんが、海岸線が長い日本の国土の大半はこのような地域であり、関東平野を中心とする地域のほうが、日本の一般的特徴から見ると非常に特殊な環境にあるです。そのような環境で育ったため、決して高級では無いのですが、新鮮な魚介類や野菜を食べる機会に恵まれていました。東京に出てきてスーパーの魚を買った時のガッカリ感は非常に大きかったことを覚えています。

ここで言いたいのは、日本の国土の大半で収穫されている魚介類や農産物は、本当に美味しいということです。仮に外国産のものが輸入されたとしても、輸送時間を考慮すると、新鮮さの面で国産品の優位性は揺らぎません。これが「日本の農業・漁業は勝てる」と信じてきた根拠の一つです。

もう一つは、特に農産物に対して言えることですが、生産者が非常に努力して「より良い商品を提供しよう」と動いていることです。これは農産物の中でも果物を中心に行われています。これは努力だけでなく実際に成果として現れており、少し前まではなかった品種の果物が市場に出回るようになりました。このような点に注目しても、農家の方たちの努力の結果を見ることができるのではないかと思います。


そのような考えを持っていたのですが、先日訪れた店で「もしかして、この考えは間違えているかも…」と考えさせられることがありました。
そのお店は素材の新鮮さをウリにしていて、入口を入ったところにその日に入荷した素材を陳列しています。そして、席に座るとザルに乗せた魚を持ってきて「ご希望の魚があれば調理しますよ」とお勧めしてくれるのです。このようなサービスをしているお店に行ったことはなかったので、店員さんが持ってきてくれた魚をふと見てみました。ところが、この魚介類たちは見るからに新鮮では無いのです。目の色、身の張り具合、どれを見ても美味しそうに感じられません。あまり気乗りのしかなった私は「あっ、いいです…。」と言って断ったのですが、一緒に行った女性たちはいろいろと注文していました。もちろん、出てきた料理は新鮮とは言えない素材を使って調理しているので、味も普通の居酒屋と変わりません。反対に先ほど調理を注文した女性たちは満足した表情で食べていました。

この時「日本の農業・漁業はダメかもしれない…」と思いました。
たった一軒のお店の出来事です。一緒に行った女性たちもたまたま特殊な反応だったかもしれません。
でも、いくら生産者が努力して"良い商品"を提供したとしても、それを消費する消費者、また消費者に届けるお店が「本当に美味しいもの」を判断できない以上、生産者の努力は報われないのです。だって努力して美味しい野菜や魚を届けても、それを評価する人が不在なわけですから。さらに、本当に美味しいものを判断できない人が子どもを育てていくのです。その子どもが本当に美味しいものが判断できる人に育つ可能性はずっと低くなってしまいます。

農産物や魚介類は食料品であるため、消費量に限界があります。標準的な人は1日3食しか食べないわけで、いくら良いものを届けたところで、消費が爆発的に拡大する性質のものではありません。農業・漁業を支えているのは、日本の消費者です。消費者が良い商品を選択できないのだとしたら、日本の農業・漁業の将来は絶望的ではないのかと考えてしまいます。