私が三陸海岸で見てきた現在と未来(前編)

もう2ヶ月以上前のことなのですが、岩手県三陸海岸に行ってきました。三陸海岸は2011年3月11日に発生した津波で甚大な被害に遭った街が広がっています。地震から1年半が経過したこの地域に実際に行ってみて感じたことを書きたいと思います。

日常生活の中で自分の所有物が壊れた時には、それ自体の必要性を再検討したり、より良い形に再構築することが最も合理的な判断です。例えば自宅のパソコンが壊れた時、「スマホがあるからPCはいらないよね」という判断をするのも良いと思うし、「仕事の効率を上げるためにもっと高性能なヤツが欲しいな」と判断するのも良いと思います。例えば築30年の自宅が区画整理事業のために立ち退き対象になってしまった場合、生活スタイルが合致する地域に新しい家を建てるとか、家の間取りを使いやすいように変更したりすると思います。家を持たずに賃貸にするというのもアリです。これはとても合理的な判断です。今まで使っていたパソコンと同じ機種を探し回ったり、築30年の自宅を数千万円かけて移築することはしないと思います。

津波で街が流されてしまったのであれば、将来の被害を抑えるために集団移転するとか、鉄道路線をもっと安全かつ使いやすい場所に移動するのが合理的な判断だと思います。津波で流されてしまった土地、しかも地震によって低くなってしまった土地に、再び同じ街を作ることはとても合理的な判断であるとは思えません。市区町村の首長がどういう未来を作るべきなのかを提示し、多少強引であったとしても、街を再構築することこそが、もっとも合理的な方法なのです。


現地に行くまでは、そう考えていました。


実際に現地に行って目にした津波の被害は、私の想像をはるかに超えていました。

そこで人が生活していたという雰囲気こそあれ、随分と遠くまで見通せるくらいに街が平たくなっています。おそらく大量の海水と土砂が流れ込んだために、比喩ではなく本当に地面が平らになっているのです。この時はレンタカーで訪れたのですが、カーナビで表示される地図と目の前に広がる光景があまりにも違いすぎます。駅の場所は地図でも確認することができるのですが、下の写真のようにホーム部分が辛うじて残っているだけです。撤去されたのか流されたのか、駅舎もレールも残っていません。



ずっと広がるこの光景を見たとき、「これは街を元に戻さないといけないな」と思いました。


人間は変化に弱い生き物です。周囲の環境が変わったり、身近な人を失ったりすると、とても強烈なストレスを感じます。これは不幸なことだけでなく、結婚や出産など一般的には「おめでたい」とされていることであっても同様であると言われています。

昨年の地震では本当にたくさんのものが失われました。自宅を失った人、学校を失った人、職場を失った人、大切な家族や友人を失った人、きっとこの街で生活する人たち全員が大切な何かを失っています。しかも突現やってきた地震津波によって、心の準備をする暇さえ与えられることなく。この経験は本当に本当に多大な負担になっているだろうし、精神的なストレスも尋常でないことも想像できます。このような環境の中で「新しい街つくり」なんて考えられるわけがありません。まずは街を元に戻すこと。それからが復興のスタートラインなのだと思います。

経済合理性だけを考えれば、災害に強くて暮らしやすい街を再構築することが一番です。これは間違いありません。けれど、「街って何のためにあるんだっけ?」という原点に戻って考えると、そこで生活する人たちが幸せな人生を送ることだと思うのです。住人が幸せを感じることができない街作りをしたところで、それって本当に正しいことなのかな?という疑問を感じました。

線路の上に茶碗の破片や化粧品の入れ物が散らばっていたり、家の基礎部分のコンクリートが延々と広がっている光景は、きっと現地に行かないと感じることができなかったことでしょう。

ということで今回の結論。

「合理的な選択が、幸せに結びつくとは限らない。」