すごい組織(後編)

前回に引き続き、労働組合というものについて考えてみます。

私は労働組合は不要だとは思っていません。労働者の正当な権利を保護するために、団結という手段を用いて交渉することは、有効な一つの方法であるからです。しかし、多くの労働組合に見られるような「資本家 vs 労働者」という対立構図を前提とした労働組合は生まれ変わる必要があると考えています。その理由は次の通りです。

1. 前提としている時代背景が変わりすぎている

戦前から高度成長期(私が生まれるより前の時代です)は、富を持つ者=資本家であり、富を持たざる者=労働者でした。このような時代には、劣悪な労働環境で働かされる労働者も多く、生命や心身に危険が及ぶこともありました。資本家は富の力でますます富を持ち、労働者が富を得る機会すら手にすることはありません。今からは想像できないくらいの、“格差”と表現するにはあまりにも大きな“壁”がそこにはあったのです。

ところが時代は変わりました。大企業と言われる組織の頂点には、資本家ではなく労働者から選抜された者が就くようになります。彼らは決して資本家ではありません。「経営者=資本家」という構図も成り立ちません。労働環境もずいぶん改善されました。労働者を保護するための法律もできました。不法行為を取り締まる公的機関もあります。労働者の生命を保護するという行為が、労働組合に求められなくなったとも言えます。

2. 労働者が求めるものの多様化

労働組合の主な目的は賃金交渉に移ってきました。「ベア(ベースアップ)」という言葉が使われていた頃のことです。この活動の結果、労働者の賃金は大幅に改善されました。世帯主の収入で一家4人(夫・妻・子ども2人)が生活するのに困らないレベルの収入を確保できるようになりました。この功績は大きいと思います。

しかし、この後の時代から労働者が求めるものが多様化してきました。

  • とにかくお金が欲しい
  • お金はそこそこで良いので、定年まで安定して働きたい
  • 能力開発の機会が欲しい
  • 正社員になりたい
  • 仕事が欲しい

彼ら全員の要望を満たすことは現実には不可能です。これだけ価値観が多様化した世の中でありながら、組織率98%という労働組合が組織されている企業があるのも不思議なことです。

そして社会を豊かにするためには、本来は4番目と5番目の期待に応えるべきなのですが、労働組合は「あえて」この問題から目を逸らしているように見えます。一部の労働組合非正規社員の待遇改善を求めていますが、正社員の比率が落ちてしまったため、「非正規社員からも組合費を徴収しないと組織が維持できない」というのが本当の理由ではないかと思えてしまいます。

3. 時代の変化を読む力が欠けている

2とも重複しますが、時代の変化を読む力が決定的に欠けています。

世界を相手に事業を進めなければならない中、労働組合は日本独自の組織として成り立っています。これに対する危機感や、海外の現地採用社員に対応することができません。これは労働組合が日本の法律のもとで定義されていることもあり、法制度を含めた変化も求められています。

時代の変化を読む力が不足する原因の一つが、競争が全く働かないことです。1企業に複数の労働組合が存在しているのであれば、従業員はどの労働組合に所属するのか理論的には選択することができます。ある労働組合に所属していたが、活動方針や活動成果に納得いかない場合には、所属する組合を変えることも理論的にはできます。これは一種の競争です。

ところが、実際に複数の労働組合が存在している企業では、労働組合が相反する労働組合を潰し合う行為を行っている事例もあり、とても健全な競争とは言えません。


労働組合の組織率は年々低下傾向にあります。「労働組合って、何なんだっけ?」という基本的なところにそろそろ立ち戻る必要があるのです。過去の成果を誇示して組織を延命するのではなく、どのような未来を描いているのかを宣言して実行することのほうが大事なのですから。