モノには適正価格がある

モノには適正価格があります。

前回のエントリ「モノをつくる人のココロ - ITエンジニアの社会学」とかぶりますが、ある一定以上の技能を持つ人が手間をかけて作ったものには、それなりの価格がつきます。この「ある一定以上の技能」を身につけるまでの期間が長いですし、身につけられる人の数も限られます。モノを作ることの対価として価格が付くならば、作り手が生活できるだけの価格が必要です。もし原材料が必要なものであれば、それらの価格も商品の価格に転嫁されるはずです。これらのことから、ある一定の品質のモノには「適正な価格」がつけられるはずです。

私の家には漆塗りの和箪笥があります。それほど大きなものではありませんが、おそらく我が家で最も高価な品物です。
この和箪笥は職人さんが手作業で作ったもので、引き出しの隙間は0.5mm以下だと聞きました。ある引き出しを閉めると、別の引き出しが出てくるくらいの品質です。(中身が軽いとそうなのですが、ある程度入れると別の引き出しが出ることはありません。)
そのような品質でありながら、1年を通して快適に使うことができます。経験不足の職人さんが作ると、湿度が高い時期には開かなくなることがあるそうです。
このような品物を作ることができるまでの修行期間と、この箪笥ができるまでの手間を考えると、決して高いとは思いません。


逆に考えてみましょう。

世の中には、消費者から見ると明らかにお買い得な商品があります。100円ショップや近所のスーパーに行っても見ることができます。
ここでは、スーパーの閉店前の安売りや、季節の変わり目のセールのことではなく、日常的に安値で販売している商品のことを取り上げています。
原材料費や運送費用を考えると、ビジネスとして成り立たないのではないかと思えるくらいの価格の商品です。小売店も利益を上げる必要がありますから、仕入れ価格は売値よりももっと安いはずです。
しかし、現実にはビジネスとして成り立っているわけですから、全員が利益を上げることができる仕組みになっているはずです。適正かどうかは別として。

これ、何かおかしいと思いませんか?

このようなビジネスが成り立つためには、どこかで何かのムリが生じているはずです。

  • 原料が正規のルートで流通しているものではない。(安全性に疑問がある原料が使われている)
  • 本来は使ってはいけない原料を使っている。(消費期限が切れているなどを始めとする、食材の使い回しなど)
  • 劣悪な労働環境で製造・運搬させられている人がいる。(低賃金での過重労働)
  • 非人道的な手段で製造されている。(特に発展途上国において)

競争環境の中でビジネスを展開している以上、無駄を省いて価格競争力を付けることは必要です。しかし、明らかにムリをしている価格競争は、必ずどこかでコストを負担しなければなりません。それは金銭という対価でなく、社会的なコストとして負担しなければならないかもしれません。

例えば、以下のような事が考えられます。

  • 何十年後かに健康に影響が出てくる。 → 医療費の増大
  • 不法投棄や汚染物質を垂れ流している。 → 環境悪化や公害による病気の発生
  • 事故の増加、モラルの低下、品質・安全性の低下 → 生命の危険、情報の流出、犯罪増加など
  • 一部諸外国の発展の阻害 → 世界的な教育水準の低下、政情不安定な社会の出現

経済的に厳しい昨今では、少しでも安いものを求めるのは消費者の心理です。
しかし、適正価格以下のモノを手に入れた時、その差額のコストは、どこかで誰かが負担しているのです。