品質向上と事故対応能力の悲しい関係

近年、いろいろな製品の品質が向上していると感じます。身の回りの家電製品を始め、「故障する」ということをほとんど体験することが無くなりました。製品寿命はあるのでいつかは壊れるのですが、電球1個に至るまで、その製品寿命自体が長くなっていると感じます。(昨日、7年前に買った照明の電球が切れました。)

この背景には次の要因があると考えます。

(1) 製造・出荷プロセスの改善により、品質のバラツキが少なくなった
(2) 品質向上施策が体系化され、設計段階から品質が意識されるようになった


これまで日本製品は品質が高いと言われてきました。これは、腕のいい職人さんや現場監督さん(ここでは職人的技術者と呼びます)の誇りによって維持されていたもので、いわゆる属人的な品質向上手法です。日本には腕のいい職人的技術者を大事にする文化があるため、結果的に日本製品の品質向上に貢献してきました。ところが最近では属人的な手法は評価されず、体系化された手法が好まれるようになりました。体系化された手法を採用することで、経験に左右されることなく一定の品質の製品を製造することができます。これにはコスト低減効果もあるため、良いものを低価格で提供できるというメリットもあります。

今の日本は、属人的な手法を好む文化から、体系的なものを好む文化へ移行する過渡期をちょっと過ぎたところなのだと思います。


最近、体系化された手法にほころびが見えるようになってきました。
職人的技術者は製品の製造プロセスにおいて、まさに五感を使って品質をコントロールしていました。製造現場の臭いだけでなく、実際に加工された部品を舐めたりした人もいたそうです。そのような中で「何かがおかしい」という発見をしていました。不良品や事故が発生する前には、いつもと違う「何か」が発生します。彼らは「何か」を敏感に感じ取り、不良品や事故を未然に防いでいました。現在の体系化されたプロセスには、この「何か」を感じ取る仕組みが決定的に不足しています。

現在の製造プロセスの中でも、試験はたくさん行っています。出荷前の製品に不純物が混じっていないかセンサーを使ってチェックしています。しかし、ここでチェックできるのは「予期できる不良」のみであり、「予期していない不良」を発見することはできないのです。このような予期していない不良を「想定外」と呼んでいます。


製造プロセスの体系化により、通常時の品質は格段に向上しました。その反面、熟練した職人的技術者は排除され、もはや取り戻すことはできない段階になっています。高度に体系化されマニュアル化された手法は、想定外に対応する機能がありません。品質は向上した。事故が発生する頻度も減少した。しかし想定外の事故を防止することも、発生した事故を解決する能力も無い。今の製造現場はこのような状況になりつつあるのです。