無理なことを無理と認めること

「子どもの可能性は無限大」という無邪気なフレーズを聞くことがあります。
しかし、これが嘘であることは大半の大人が気付いています。気付いていないフリをしている大人もいます。
私たちが生まれた瞬間、この世の中にある様々な人生の90%を選択することはできません。(90%に深い意味は無いです。95%でも99%でもいいです。)

実例として、男の子に生まれた瞬間に母親になるという人生は否定されます。逆に女の子に生まれた瞬間に父親になるという人生は否定されます。これは家庭環境でも同じです。お金持ち、貧困、家業、容姿、時代によっても諦めなければならない人生がたくさんあります。これを「どうにもならないこと」と早々に諦めてしまうことが重要であるというのが私の考えです。現実は「諦める」というより「選択肢に入らない」という方法で無意識のうちに選別しているはずです。大学生くらいになって「オレには無限の可能性がある!!」と本気で思っていると、ちょっと痛々しい感じがします。それは、大学生になっているという時点で、残された僅かな選択肢の大半を捨ててしまっているという事実に気付いていないからです。


人間は人格が形成されている段階で、向き/不向きというものが現れてきます。これは才能がある/才能が無いと言いかえることができます。そしてもうひとつ、好き/嫌いという軸も現れてきます。これを組み合わせると次のような結果になります。

(1) 好き/才能がある → 最も幸せな組み合わせです。がんばってください。
(2) 好き/才能が無い → 残念ですが、趣味として頑張るのは良いと思います。
(3) 嫌い/才能がある → 社会としての損失ですが、嫌いなことを無理してやる必要はありません。
(4) 嫌い/才能がない → お互いの幸せのためにも、是非無理しないでください。

そして現実の社会には(2)が圧倒的に多いということです。これは本人にとっても社会にとっても大変不幸なことです。

高校生〜大学生くらいの期間、年齢で言えば16歳〜20歳くらいの期間というのは、自分の夢と自分の才能とのズレに悩んで、そのズレを受け入れる期間なのではないかと思います。うまく消化できた人は、その後の人生もスムーズに進むと思いますし、消化できなかった場合、本人も社会も不幸になってしまいます。進学高校に進んで、そこそこ有名な大学を卒業して、超大企業に就職して「オレは世界を動かすベンチャー企業を作る!!」とか言っていると、どこかで何かを勘違いしてしまったのではないかと心配になってしまいます。


「無理なモノを無理」と認めることは、「向いているモノを見つける」よりもずっと勇気がいる行為です。無理なものを無理と認めることは、とても大変なことで成熟した精神が必要な行為なのです。
「どうしてそんなに刹那的なコトを言うの?」という疑問が出そうですが、無理なモノを無理と認めることは、新しい道を切り開く機会でもあるからです。そのほうが、無理な夢を追い求めるよりも、ずっと幸せになれる可能性が高いからです。


参考までに世間で言われている綺麗ごとをまとめてみました。

  • 子どもには無限の可能性がある → 嘘です
  • 人生はやり直しができる → 嘘です
  • 頑張れば何だってできる → 嘘です
  • 元気があれば何でもできる → 嘘です

異論・反論はあると思いますが、これが現実です。
あと、最近は(4)の人が増えつつあるように感じます。これに関しては後日書きたいと思います。