エンジニアは英語のヒアリング能力が必須になった〜そしてそれから〜

外国語が苦手です。

とはいえ、仕事がら英語の技術文書を読む機会があるため、マニュアル程度であればなんとかなります。メールも頑張ればなんとか…。しかし、なんとかなっていたため、「聞き取れなくても、読めればOK!!」という気持ちでいたのですが、最近困ったことが起きてしまいました。

「製品のインストラクションが動画で行われている。しかも字幕なし。(もちろん英語)」

そうだよね。時代だよね。文書でマニュアルを公開するよりも、動画で公開したほうが圧倒的にわかりやすいですもんね。(※ただし聞き取れる場合に限る。)

私と同世代くらいのエンジニアだと、「英語は読めればなんとかなる!!」と考えている人も多いんじゃないかと思うんです。でも、その時代は終わりました。今はヒアリングが必須になってます。そして、これから10年以内に話す能力も求められます。

だって世界中で売られている製品のマニュアルを、コストをかけて日本語に変換するのは大変です。事実、Java7から日本語の公式APIドキュメントはありません。同じように、世界中で売られている製品のサポートを、コストをかけて日本語で提供するのも大変です。そうなると、「サポートデスクは英語のみ」というベンダが現れても不思議ではありません。既存ベンダだって、多言語のサポートデスクを設置することが優位であるから対応してくれているだけであって、その対応の優位性が低下しれくれば、日本語対応のサポートデスクは閉鎖するでしょう。

というわけで、これからのエンジニアは英語でサポートデスクに問い合わせるだけの英語力が要求されます。

たとえサポートデスクが英語のみになったとしても、当面は日本語対応が可能な代理店が入ったりすると思いますが、競争という面では明らかに不利ですよね。個人的には、"翻訳コンニャク"が早急に発売されることを願うばかりです。

韓国のサイバー攻撃ニュースのIPアドレスの件

妻から、韓国で発生したサイバー攻撃の件で質問されました。
「これって、どういう意味?」

対策本部は農協で使用されているIPアドレスが、国際機関公認の中国のIPアドレスと完全に一致していたたため誤認したという。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130322/kor13032216590003-n1.htm

確かにIT関係の知識が無いと、全くわからないニュースですよね。ということで、簡単に解説を書きたいと思います。ITに詳しくない方に向けているので、あまり細かいことは書きません。

IPアドレスについて

遠隔操作ウイルス事件の時にも聞きましたよね。ニュースでこの言葉を聞くときには、「インターネット上の住所に相当するIPアドレス」という表現でお馴染みです。インターネットを使った通信では、相手のIPアドレスを使って、データを送ったり受け取ったりしています。そして、網の目のように接続されているインターネットの中には、データを中継するための交換機のような機械がたくさんあります。これらの機械は、データごとに付けられている宛先のIPアドレスを見て、次にどの交換機に渡せばよいかということを判断しています。このように、バケツリレーのようにデータを送るのが、インターネットの基本的な仕組みなのです。

この仕組みが成り立つのは、インターネットの中に同じIPアドレスが2つ以上存在しないからです。もし存在していたとしたら、インターネットの中にある交換機は、その宛先のデータをどこに届けてよいのか分からなくなってしまいます。だから、IPアドレスは「インターネット上の住所」と言われているのです。

ここで今回のニュースを理解するための情報として必要なのが、"他人が所有しているIPアドレスを勝手に名乗ることはできる" ということです。でも、インターネットの中にある交換機は、勝手に名乗ったIPアドレスの存在を知らないので、他のPCとデータのやり取りをすることはできません。何故なら、そのようなデータは "本来の持ち主" のところに届けられようとするからです。

プライベートIPアドレスという存在

先ほど、「インターネットの中に同じIPアドレスが2つ以上存在することはない」と書きましたが、"プライベートIPアドレス" という特殊な用途のためのアドレスだけは、インターネットの中にいくつ存在しても良いことになっています。主な使い方は、家庭内LANとか企業内LANとか学内LANのように、他の組織と直接通信する必要がないネットワークに利用しています。きっと皆さんが利用しているPCにも、"192.168.x.x" のようなIPアドレスが割り当てられているのではないでしょうか?このようなIPアドレスが "プライベートIPアドレス" と呼ばれているのものです。逆に、インターネットの中で使ってもよいIPアドレスのことを、"グローバルIPアドレス" と呼んでいます。

「えっ?でも、このPCからGoogle見えるよ?」

そうです。これがちょっと難しいですよね。
これは皆さんのPCとインターネットの間にある "ルータ" という機械が、IPアドレスの書き換え(変換)を行ってくれているのです。だから、皆さんが送ったデータがインターネットの中を通る時には、"192.168.x.x" というプライベートIPアドレスではなく、きちんと正規の手順で割り当てられた "グローバルIPアドレス" が使われます。これは、家庭でも企業でも学校でも、規模が違うだけで同じ仕組みが使われています。

"グローバルIPアドレス" を "プライベートIPアドレス" として使ったら?

特定の条件に合致しない限り、"グローバルIPアドレス" を "プライベートIPアドレス" の用途で使っても大きな問題は発生しません。PCとインターネットの間にある "ルータ" が、そのようなルールに従ってIPアドレスの変換を行っているのであれば、Googleを見ることもできますし、Yahoo!を見ることもできます。

問題が発生するのは、そこで使ったIPアドレスの "本来の持ち主" と通信する時だけです。だから本来の持ち主と通信する必要が無いのであれば、どのようなIPアドレスを使っても仕事に支障が出ることは無いのです。もちろん、勝手に使っているだけですので、窃盗行為にも該当しません。でも、「"本来の持ち主" と通信する必要性が無い」と断言することはできませんよね。IPアドレスの持ち主は変わることもあります。現時点で必要無いからといって、将来にわって必要ないとは言えません。そこで、インターネット上のルールに従って、多くの人たちはLANの中にはプライベートIPアドレスを使うのです。

韓国政府対策本部は何を勘違いしたのか?

ニュースに書かれていた内容しか情報が無いのですが、おそらく不正侵入された農協のLANでは、本来は中国に割り当てられているはずのIPアドレスを、プライベートIPアドレスとして使っていたのではないかと思います。そのため、アクセス元を調べたら「中国からの攻撃だった」と勘違いしてしまったのではないでしょうか。

インターネットは他人に迷惑を掛けない限り、とてもゆる〜いルールで通信しています。その緩さに甘えるのもいいですが、いざって時にこういう困ったことが起きてしまうので、ルールはきちんと守りましょうね。

※ちょっとだけ追加情報

現場を見ていると、このような事例を目にしたことは何回かあります。
プライベートIPアドレスの範囲は、"10.x.x.x" と "192.168.x.x" というアドレスの他に、"172.16.x.x" 〜 "172.31.x.x" という一見すると中途半端に見えるアドレスもあります。2進数で考えるとわかる話なのですが、 ネットワークの拡張工事を行った時に、"172.40.x.x" というアドレスを割り当ててしまうというような事例です。(おそらく、10進数で足し算をしてしまったのだと思います。)このような場合でも、"172.40.x.x" というグローバルIPアドレスの本来の持ち主と通信しない限り仕事に支障が出ないため、なかなか気づきにくい問題でもあるのです。

ネット向けサービスで最もコストがかかるのはデータを移動すること

最近まで、ネット向けサービスのシステム再構築の仕事をしていました。構築してから数年が経過したシステムの再構築のお話をいただく機会は意外と多くて、その度ごとにコスト計算をするのですが、インターネット接続料金が全く安くならないんですよね。

4年前に構築したシステムで、サーバを25台くらい使っていたシステムが、今では1台のサーバに仮想環境を構築して動いてしまったりします。これはデータセンタの場所代や電気代に直結するため、月々に必要なコストがとても削減できるのです。全ての機器を仮想環境で動作させられるわけではないのですが、場所代と電気代が1/3くらいになりました。自分で提案&構築をしていてなんですが、こんなに効果があるとは思ってもいませんでした。そして、システムは移行前と変わらず動き続けています。仮想化技術が発展したことも大きな要因の一つなのですが、CPU・メモリ・外部記憶装置が高機能・高性能になりつつ価格が下落していることが最も大きな要因だと思います。技術の発展ってすごいです。

ところが、4年前からほとんど価格を下げることができなかったのがインターネットの接続料金なのです。常時100Mbpsを超えるデータが流れているため、上位プランを利用しているということもあるのですが、ほんの少ししか価格を下げることができませんでした。家庭向けのインターネット接続料金はどんどん安くなっている印象がありますが、エンタープライズ向けの料金は "驚異的" というほどの価格変動は起きていないのです。そして、これから数年先を見ても、エンタープライズ向けのインターネット接続で、"驚異的" と思えるほどの価格変動が起きる気配もありません。


結果的に、ネット向けサービスで最もコストがかかるのがデータを移動することなのです。


通信業界が技術発展の努力をしていないというわけではありません。高速通信技術は日々進歩しています。でも、それが利用者が負担するコストに反映されないんです。

オンライン上のデータはどんどん増えているのに、それらのデータを移動するためのコスト(お金&時間)は、ほとんど変わらないままです。「HDDにデータを保存して宅配便で送ったほうが、速いし安いんじゃないですかねー」という、昼休みの雑談で出た話がホントに採用されそうでは怖いです。Web業界で仕事をしている一人として、本当にインターネット接続コストは下がって欲しいです。通信業界の皆様、なにとぞよろしくお願いします。

仕事で死ぬということ

大人になってから知り合った人たちは、自分と同じような価値観を持っている人が多い。大学で知り合う人たちは、好きな分野や家庭の経済状況が似てくるし、会社で知り合う人たちは、公務員・大企業・中小企業を含めて、周囲に似たような人たちがたくさん集まる。


小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

  • 作者: ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン,黒沢 健二,松永 肇一,美谷 広海,祐佳 ヤング
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/11
  • メディア: 単行本
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「小さなチーム、大きな仕事」という本を読んだ。
私が働いている業界もWeb関連の業界だし、この本に書かれているようなノリで動いている部分もある。だから書いている内容も理解できる。

多くの人たちは、自分が所属している業界が世間の常識だと考えてしまいがちだけど、我々の業界は世間一般から見るとかなり特殊だと思う。インターネットを激しく使っているとか、会社に出社しなくても業務を進めることができるとか、一日の半分以上の時間をPCに向かって過ごしているとか、突然徹夜業務が発生してしまうとか。この本に書かれているように、「後でやれることは、後でやればいい」という意識で進められる点もその一つだ。

このようなノリで仕事を進められる理由は、Web関連業界の仕事で「人が死ぬことがほとんどない」という点が大きな理由なんじゃないかと思う。


最近、小学校の時の友人と食事をする機会があった。それぞれ、いろいろな業界で働いているんだけど、そのうちの一人は大きなプラントで働いている。彼の仕事はシフト制だし、残業もほとんどない。だけど、人間が直接近づいただけで即死できるような材料が、職場の机の数十メートル先に保管されている。もちろん厳重に保管されているけど、事故や災害で保管容器が破壊されてしまうと、職場の全員が即死してしまうかもしれない。彼は高校卒業と同時に働き始めたので、もう20年くらいそのような環境で働いているわけで、そのような職場で長年働いていていたため、仕事に対する意識が我々とは全く違う。ちょっとした油断やミスが命に関わるのだから。

ちょっとした油断で即死するのは極端な例かもしれないけど、体の一部を切断してしまったり後遺症が残ってしまうことが起こりうる職場は、意外と世の中に多い。私の親戚でも、ちょっとした油断で指を切断してしまった人もいるし、同僚のちょっとした油断が原因で死ぬまで片足が不自由になった人もいる。それに対して、Web業界では、プログラムにバグがあっても誰も死なないし、コマンドを打ち間違えたって後遺症が残ることはない。だからこそ、「スピード」を追求できるんだと思う。だけど、その価値観を世間一般にも適用しようとするのは控えたほうがいい。どちらが正しいとか間違っているとかではなく、そもそも価値観が違うのだから、分かり合えるとは思えないし、価値観を同一にする必要性すらない。


少し前に、東京で大雪警報が出たけど雪が積もらなかったことがあった。この時のJR東日本の対応に批判が殺到したけど、これも「お役所仕事」という一言では片づけられないと思う。彼らの職場は「人が死ぬ」職場なのだから。利用者だって、「もし何か問題が発生したら何人か死ぬかもしれないけど、スピード重視で運行しますね。多分大丈夫だと思いますけど。」とか言われても利用するのかなあ?

ちなみに、大雪警報の日は午前中の用事を全て振り替えて、昼まで自宅で仕事をしていました。安全に目的地まで辿りつけるとは思えなかったから。
こういう対応ができるのも、Web業界で働いている特権ですね。

リンダ・グラットン教授のセミナーに行ってきました

リンダ・グラットン教授来日記念セミナーに行ってきました。やっぱり平日夕方のセミナー参加者はスーツが多いですね。「雪降るらしいから仕事したくないよぉ」という気持ちで過ごしていた私は、ダラダラした服装で参加してしまいました。すみません。


ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

講演内容は書籍の内容に沿ったものですので、伊賀泰代さんとの対話や質疑応答の中から印象に残ったことを書きたいと思います。

情熱が傾けられることを見つける

こういう話の中で絶対に出てくるのが「変化しなければならない」というメッセージです。でも、グラットンさんの意見は「もし幸せであるのであれば、変化する必要はない」というものでした。それよりも重要なのは、世界でどのような変化が起きているのかに目を配り、自分にとっての幸せを目指して決断と行動を繰り返す必要があるということです。それは情熱が傾けられることを行うことが最良の選択になるだろうということです。どのような選択をしてもメリットとデメリットはありますが、その結果、どのようなデメリットがあるのかを前もって知ることは、とても大事なことだそうです。

でもねぇ。お金の話だけは切り離せないと思うんですよねぇ。

やっぱり生活するのにお金は必要だし、お金がなくなってくると精神的な余裕がなくなってきて情熱も失われていきます。情熱を維持するためにも、それなりのお金は必要です。また、将来的に寿命が延びるという予測も、十分な医療が受けられるということが前提になってきます。十分な医療を受けるためには、それなりのお金が必要です。このあたりは富の再分配だとかに関して、社会的な同意が必要になってくる点だと思います。

「日本=東京」ではないと思うんです

伊賀さんが会場に対する質問で「日本は積極的に多様性を求めたほうが良いと思いますか?」という質問を、「東京は積極的に多様性を求めたほうが良いと思いますか?」と言い換えました。これは、とても大きなポイントだと思うんです。

少し前に「都会 vs 田舎」論争がありましたよね。私の実家は、東京から飛行機を使っても(空港が遠いから)5〜6時間くらいかかるところにあります。田んぼと畑がたくさんある田舎です。そして、日本の国土の大部分は、このような地域を始めとする田舎であり、東京都市圏のような地域のほうが特殊な土地です。でも、日本の人口1億2,000万人のうち、東京・神奈川・埼玉・千葉(東京都市圏)に住んでいる人が3,500万人、関西・中京・北部九州を含めると6,000万人以上が都市生活を送っており、これは日本の人口の半分に相当します。経済もこれらの地域を中心に回っています。だから多くの人は「日本=東京」という錯覚をしてしまいます。これは、「イギリス=ロンドン」、「フランス=パリ」、「中国=北京・上海」、「韓国=ソウル」と考えてしまうのと同じことで、これらの国々においても地域間の多様性は存在しているのだと思います。(東京と大阪は同じような都市に見えても、文化的には大きく違いますよね。)

日本でも主要都市以外に住んでいる人は半分くらいいるし、そういう地域に住むことを望んでいる人も同じくらいいると思います。でも、そういう地域であってもグローバル化の影響は受けるので、もし今と同じ環境を守りたいのであれば、積極的な行動が必要だと思います。

ただし、シンガポールだけは本当に特殊かもしれない。「シムシティみたい」って言っていたし。

休暇を取りましょう

年金制度も事実上破綻しています。今の30代より下の世代は、70歳や80歳まで働くことが求められます。そのため、同じ働くんだったら情熱が傾けられること(好きなこと)をやったほうがいいと思います。これは書籍にも書かれていた「消費より経験に価値を置く生き方へ」という点に繋がります。

でもね。人間そんなに働き続けるのは難しいです。情熱もどこかで途切れてしまうかもしれません。だから休みましょう。70歳や80歳になっても働くということと、70歳や80歳まで働き続けるというのは意味が違うと思うんです。3年に1回とか、10年に1回くらいのペースで接する世界を切り替えることができると、情熱や熱意も長続きするかもしれません。この点において、長期休暇制度が無かったり、一度離職してしまうと復職が著しく不利になってしまう社会は変えていく必要があるように思います。

英語が共通語になるよ

反論の余地がありません。ごめんなさい。
同時通訳が無かったら、今回のセミナーも辛かったです。


お土産いただきました。リビングのPCのマウスパッドとして利用します。

体罰問題から見る善悪の判断

大阪市立桜宮高校で、バスケットボール部の男子生徒が顧問教師からの体罰を苦にして自殺しました。少年が自らの命を絶つほど追い込まれていたことは、とても悲しい出来事です。亡くなられた生徒さんのご冥福をお祈りいたします。

まず最初に書いておきますが、私は体罰反対派です。これから書く内容は、体罰容認派の方から見ると、偏った意見に見えるかもしれません。

桜宮高校の出来事をきっかけに、体罰容認派VS体罰反対派の論争が活発に行われています。最近の記事では、体罰容認派である産経新聞編集委員 大野敏明氏の「http://sankei.jp.msn.com/life/news/130127/edc13012708500001-n1.htm」が注目を集めているのではないでしょうか。

今回発生した桜宮高校での出来事は、閉鎖社会の中で行われた暴行事件です。そして加害者側が「体罰だった」と話しているだけで、客観的に見れば明確な犯罪行為です。この犯罪行為を基準にして体罰問題を議論するのは、あまり良い議論だと思えません。大野氏の記事の中でも、桜宮高校で行われた暴行行為と体罰は別モノであるという主張をしています。

確かに、これまでの日本社会の歴史の中で、体罰が容認されていた時代がありました。その社会・時代の中で育ってきた人たちの中には、体罰を容認している人も多くいらっしゃると思います。でも、これだけは明確にしておきたいと思います。

「2013年の日本社会において、肉体的暴力を伴った体罰は悪である。」

正直なところ2013年に限らず、私自身が中学生だった20年前においても、私は体罰反対派だったんですけどね。それでも、今よりは体罰容認派の意見は強かったと思います。


ここで主張したいのは、「ある行為が善か悪かを決めるのは、その時代における社会である」ということです。だから「先生による体罰はOK!!親による体罰もOK!!」という人たちが多い社会であれば、体罰は善になりますし、「先生による体罰は絶対ダメ!!親による体罰も絶対ダメ!!」という人たちが多い社会であれば、同じ体罰行為であったとしても、それは悪になります。全く同じ行為であっても、その時代背景であったり社会全体の意識の違いによって入れ替わってしまうくらい、善悪の判断というのはフワフワしたものなのです。地域の教育社会という狭い社会の価値観だけに触れている教師や保護者が、日本社会全体における価値観とのズレに気付くことができない点は、必然的な不幸だと思います。

この点に注目して考えると、5年後・10年後・15年後にはどのような社会が待っているでしょうか?2013年は肉体的体罰が主な問題として取り上げられていますが、2020年までには精神的体罰が問題になっているでしょう。今の企業社会における"パワハラ問題"と同じ問題が起きているかもしれません。もしかしたら今の善悪が完全に入れ替わっている可能性もあります。今の私たちでは想像もできない未知で複雑な事象が生まれているかもしれません。そして、今の時代を生きている私たちは、その未知で複雑な事象に正しく対応することができるでしょうか。

善悪の判断なんて掴み処の無いモノです。10年前の善が10年後の悪になっていることもあります。私たちは、時代背景に応じた社会の変化を、敏感に感じ取ることが求められるのと同時に、どのような社会を目指しているのかを、積極的に発言していくことが求められていると思います。

スキルの賞味期限が短くなっている

http://www.asahi.com/job/news/TKY201301080074.html

いろいろな歪が出てきていると感じます。
私は、追い出し部屋に送られる世代のど真ん中ですので、同じ立場に立っていた可能性もあったわけです。(今の立場だと追い出し部屋どころか、即刻無職になってしまうわけですけど。)

この問題の原因には、

(1) 社員の保有スキルと企業の要求スキルとのズレの存在
(2) 正社員の解雇が非常に困難

という大きな二つの問題があると考えています。特に(2)の問題について企業の視点から見ると、「解雇が難しいから、精神的に追い込んででも自主退職させる」という方法を取らざるを得ないし、社員の視点で見ると「解雇されると再就職が難しいから会社にしがみつくけど、精神的に疲弊して最終的には退職する」という結果になってしまいます。結局、全員が不幸になってる。ただでさえ再就職が難しいのに、精神的に疲弊してしまうと、さらに再就職が難しくなってしまうという悪循環も付いてきます。

そして、何故再就職が難しいかというと、「正社員の解雇が非常に困難であるため、採用側企業が躊躇してしまう」ということが原因の一つです。だから解雇規制撤廃派は、正社員の解雇条件を緩めることで雇用の流動性を高めることを主張しています。雇用の流動性を高めれば、再就職も簡単になるという論理です。

解雇規制の緩和が善か悪かは別にしても、私は近いうちに解雇規制は緩和されると考えています。それは解雇規制という仕組みが、企業で発生している現実問題に対応できていないためで、それは仕組みと現実の間に歪が発生しているということを意味しています。歪は放置していると、必ずどこかで弾けてしてしまいます。そして、先送りにすればするほど、その影響は大きくなる傾向があります。だから、解雇規制の緩和は、「やるか/やらないか」という課題ではなく、「いつやるか」という段階になっています。事実、日本は経済協力開発機構OECD)から、この問題を是正するように求められています。


少し前の社会だと、学校で学んだ知識や入社直後に身に付けたスキルと、その延長線上で身に付けたスキルの賞味期限は40年以上あったんだと思います。会社員の入社から定年までの期間がおよそ40年なので、絶対的な体力が必要な仕事を除けば、会社員は定年まで勤め上げることができました。ところが、現在のように解雇対象が30代になってしまっているのは、解雇理由が従来のような賃金の高止まりにあるのではなく、冒頭に書いたように社員の保有スキルと企業の要求スキルのズレが大きくなってしまったからだと思います。これは、20代前半で身に付けたスキルの賞味期限が、15年〜20年程度になってしまったということを意味していて、今後この期間はどんどん短くなっていくと予測しています。

今後も安定して仕事を続けていくためには、35歳〜40歳でスキルの再構築や業務内容の転換を受け入れる覚悟が必要になるでしょう。きっと10年後には、この時期が30歳〜35歳と45歳〜50歳くらいの2回に増えのではないかとも思います。このスキルの再構築は、大学・専門学校等の教育機関や企業内研修組織が請け負うことになるんでしょうけど、そういう点においては、これからの会社員に求められるスキルは、「スキルを再構築するためのスキル」ということなのかもしれません。

大変な世の中になったなあ。